デス・ストランディングを終えて
盛大に転んだ。次の瞬間散らばった荷物が山を駆け下りていく。呆気にとられているとコントローラーから鳴き声が響き渡り、同時に我が家のBBも泣き出した。娘をあやしながらコントローラーを上下に振って、スクリーンの向こう側のBBの機嫌をとる。なんとも奇妙な光景だ。
デス・ストランディング。極めてメッセージ性の強いゲームであり、同時に新しいゲームの価値観を全世界に提示した。
配達をメインに置くゲームデザイン
独創的なゲームデザインはまさにオープンワールドのゲームの概念を覆した。戦闘はあくまで移動や運送の「ついで」であり、極端な話イベント戦闘以外は必須ではなく、戦闘して敵を倒してレベルが上がるわけではない。従来のゲームと価値観が逆転している。あくまで配送や運搬がメインコンテンツである。
通常のゲームではファストトラベルを使用して移動するが、DSでは荷物やアイテムをファストトラベルで持ち歩くことが出来ない。従って必然的にオープンワールドでの移動を強いられる。だからこそ、a地点からc地点への配送のついでにb地点への配送もしよう。というルート選択が生まれる。これを考えるのが面白い。
主人公のサムは常人に比べれば超人の部類に入る(伝説の配達人だ)それでも大量の荷物を持って移動する際は身体のバランスをコントローラーを使用してバランスを取らなければならない。勢い余れば簡単に転び荷物が損傷する。ただ移動すれば良いと言う問題ではない。
カイラル通信で北米大陸を繋いでいくというのがサムの使命。サムはカイラル通信起動に必要なQpidという鍵を持っている。繋いでいない新規のエリアは自分の手で攻略しなければならないため、ルート選択が非常に重要となる。
目的地までの行程は決して楽ではないが、カイラル通信を繋ぐことで他のプレーヤーの建造物が現れるため、帰路は劇的に楽になる。この快感が革命的。1人孤独に運送しているが、決して1人ではないという「繋がり」をダイレクトに実感させる。
荷物に重さの概念があるため、どの荷物を選択するか常に取捨選択を要求される。配達すべき荷物と自身が使用する荷物との兼ね合いを考えるのが面白い。梯子や縄が足りず困窮する場面も何度かあった。
2章までは壮大なチュートリアルである。プレーヤーはこの荒廃した大地での配達が簡単なことではないと思い知らされる。それが良いストレスになるか悪いストレスになるかはプレーヤー次第で、ここが評価の分かれた部分だろう。
2章後半でバイクが乗れるようになると移動スピードが向上し、3章からトラック追加で一度に大量の荷物を運搬できるようになる。この瞬間プレーヤーはこれまでの配達の概念が覆される。すると、配達の効率向上を考えるプレーヤーは橋を整備し、ジップラインで山々をつなぎ、やがて国道を整備し始める。配達を繰り返して各拠点のキャラクターとの親密度を向上させることで、役立つアイテムが作成できるようになる。
気がつくと自分が配達依存症に陥り、素材を奪うためにミュール基地を襲撃する。どちらがミュールなのか。皮肉な話だ。
時雨
時雨という存在がプレーヤーに緊張感を与える。時雨は浴び続ければ荷物が劣化するため、スピーディーな状況判断と行動が要求される。また時雨が激しく降る箇所にはBTというあの世にいけない亡霊のようなものが湧いて出てくる。
序盤は対抗手段がないため、捕まらないように息を潜め静かに通過するしかない。やがて装備が揃うとBTを撃破することが可能になる。この辺のプレーヤーへのストレスのかけ方が絶妙。
いいねシステム
このゲームの最大の肝になる箇所だ。オンライン上で同期される他人の建造物に対して「いいね」をつけることが出来る。いいねを相手につけることは自分にとって何ら得にはならない。しかし自分の建造物にいいねがつくと承認欲求が満たされることに気がつく。SNS全盛の時代を生きる我々にとって慣れ親しんだ感覚である。
より沢山のいいねを貰いたければ、効果的に建造物の配置を行うしかない。あるいは国道を整備する。すると誰かが自分の建造物を使用してくれる。dislikeが存在しない為、このシステムによってこのゲーム内に善意の渦が生まれる。
他者からいいねを貰う方法には、他人に装備品や素材をシェアすること、そして他人の荷物を運送することが挙げられる。いいねを貰うことでサム自身のレベルも上がっていく。配送ついでに他人が託していった荷物も配送するようになっていく。
相手のゲームプレーに干渉することは出来ないが、自身のプレーが干渉されることはない。プレーヤー間に悪意が生まれない為、緩やかな繋がりが生まれる。他の誰かのためにプレーしようと思ったときには、すでに小島監督の掌で転がされている。
静寂
プレー中ほとんどBGMは流れず、自然音だけが響く。DSにおいて孤独感を味わう1つのファクターになっている。逆に新しい場所に来たときに楽曲が静かに流れだし、曲のタイトルが表記されカメラがすっと引く。自然音のみ聞いてきたプレーヤーが緩やかな幸福感と高揚感に包まれる素晴らしい演出だ。
ストーリーを終えて(極力ネタバレは避けたい)
「繋がり」というメインテーマが一貫しているからこそ、クライマックスまで物語がぶれずに進行した。そして魅力的なキャラクターについて掘り下げながら物語が描かれたことにより、ラストの展開で大きな感動を味わうことができた。
クライマックスでは銃を「棒」としてではなく、「縄」として扱う。まさに今作のテーマが凝縮された印象的なシーンだった。そしてクリフから託された想いを胸にBBと生きることを選択したサム。物語は決してハッピーエンドではないが、彼は小さな希望との繋がりを手にした。
デス・ストランディングはプレーヤーに解釈が委ねられるゲームだ。プレーヤーがゲーム体験を通して、様々なことを考える機会を与えてくれる。ゲーム内のドキュメントを読み解いていくと驚くほど現代社会を風刺しており、さすが監督のゲームだなと舌を巻いた。
我々はより多くの人間とテクノロジーを介して「繋がり」を手に入れることが出来たが、同時に異なる価値観による「分断」が鮮明になった。監督はその風潮に対して明確に「ノー」を突き付けた。ゲームという縄を用いて。
「信じるものは自分で探せ、そして次の世代に伝えるんだ」娘が生まれてからずっと問いかけられていたテーマに1つの答えが出た。「誰かと誰かを繋ぐ橋になれ」と。
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