風の吹く丘で

日常の話

応援するクラブに対する「期待値のコントロール」

「期待値のコントロール」ということを、20代後半から重要視するようになった。友人に対して、または応援するクラブに対して。仕事場の同僚や上司に対して、そして彼女に対しても。相手に対する要求が大きいほど、自分の思い通りにならなかったとき、それが大きなストレスして自分を消耗させるのではないのだろうか。20代前半の自分に欠けていた視点のひとつである。

 

誤解してほしくないが、相手に対して期待をしないというわけではない。もちろん期待や希望を抱くが、過剰に求めすぎないことを心がける。そしてそれは、自分の期待が裏切られたときにどう対処するのかにつながる。期待を過剰に寄せていれば、大きく裏切られたことによって自分自身が傷つき、そして苛立つ。過剰な期待を寄せなければ、仮に結果が裏切られたとしても「まあこんなものだろう」と自分自身を納得させたり、心と折り合いをつけることが可能だ。

 

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ドルトムントに対する「期待値」

僕自身はボルシア・ドルトムントというサッカーチームを応援している。もちろんタイトルを望んでいるし、チームには強くあってほしい。しかし個人的には「タイトル」の為に応援しているわけではなく、タイトル以外にも数多くの魅力があって応援しているという「大前提」を絶対に忘れてはならないと肝に銘じている。(もちろん中にはタイトル至上主義の方もいらっしゃるだろう。それは否定しない)

「絶対に今シーズンはタイトル奪取。タイトルが獲れなければ失敗」と考えて期待値を上げる方も中にはいるが、僕は「タイトルを狙える位置につければ良し。あとはどうなるか様子を見てみよう」と期待値を意図的に下げている。そして「タイトルが獲得できればラッキーだ」くらいにしか考えていない。

 

期待値を大幅に上昇させ、仮に失敗に終わったとする。チームに対するストレスは最大限になり、暴言や怒りを吐き出さずにはいられないだろう。そういった感情的なものもサッカーの一部だといえばそれまでだが、自分が大事にしている何かを確実に見失ってしまう。僕はそうならないために、あえて最初は期待値を下げておき、徐々に上昇させていく形をとっているが、そこには自分の心を守るという意味合いも存在する。

たまにこのスタンスが非難されるときもある。「どうしてファンなのに優勝を狙わないんですか?」という調子で。僕は問いたい「それが達成できなかった場合、あなたは自分自身の過大な期待に対してどのように折り合いをつけるのですか?」と。おそらくチームに対する不平不満、暴言、特定の選手に監督に対する度を越えた批判。それらをネット上にぶちまけるだろう。

「裏切られた」ことを黙って消化できる。もしくは素早く切り替えられるならば良いが、たいていの人間はネガティブな感情を周知の場で発散せずにはいられない。ネガティブな感情を発散してすっきりする方もいるかもしれないが、同時に「過大な期待を寄せた」自分自身も大きく消耗している。そういったことにも目を向けても良いはずだ。

短い期間で応援するならばそれで良いが、これから先長い時間をかけて応援していくならば、自分自身の心の在り様も考えていく必要があるし、自分のペースで長く楽しむにはどういうスタンスで、どういった気持ちで臨めばいいのか。そういった心の「棚卸し」をファンの皆様に勧めたい。そう思い駄文ながら筆を執った次第である。(というかドルトムントマガジンで書けよという話である 笑)